原題:A Quiet Place
製作年:2018年
製作国:アメリカ
配給:東和ピクチャーズ
監督:ジョン・クラシンスキー
製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッドリー・フラー
製作総指揮:ジョン・クラシンスキー
キャスト:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンス、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ、ケイド・ウッドワード ほか
(以上、映画.comより)
(あらすじ)
2020年、宇宙からやって来た怪物のために世界中が恐怖に陥っていた。怪物は盲目であったが、極めて鋭敏な聴覚を有しており、それを利用して人間を食い散らかしていたのである。そんな世界を逞しく生き延びていたのがアボット一家であった…。
42点/100点
怪物もののホラー映画であるが、ポストアポカリプスものの一種である。主人公一家以外の人間はほぼ全滅しており、インフラは全く機能していない。街は寂れ、店でも好きな商品を取り放題。そんな舞台で、主人公一家は息を潜め、物音一つ立てないようにし、怪物から逃れ生き続けている。その怪物は小さな音や声に反応して即座に襲ってくる。そんな、一家VS怪物の話である。
この映画、掴みは本当によい。スーパーマーケットで一家が薬を物色するところから映画は始まるのだが…音の全くない画面の中で、彼らは本当に慎重に行動をし、「音を立てる事がいかに危険か」という事を、言葉なしに観客に説明してくれるのだ。また、荒廃した街並みも美しく、とてもよい雰囲気を出している。
そう、掴みはよいのだが…、一体なんだこの映画は。掴み以外が全くもって、ダメダメである。まず「音を立てたら即死。」というフレーズ。これがそもそも大嘘である。一家は皆、様々なところで音を立ててしまうのだが、一向に即死する気配はない。正確に言えば、即死する時もあれば、全く怪物に気づかれもしない時すらある。半端すぎるのだ。そもそも、映画序盤の荒廃した街にて、おかしい片鱗はあったのだ。新聞紙が風に吹かれてビラビラビシバシ大きな音を立てているのに何も起きない。「そこは大丈夫なのかよ!」と思わずツッコミ入れてしまったが、つまり大丈夫だったのだ。杜撰な設定なのだ。例えば新聞紙が風に吹かれて音を出した時にすかさず怪物が現れ新聞紙を破壊するとか、そういった演出があればよかったのだが…。
ただ、その新聞紙の演出も敢えての演出なのかもしれない。「無機物が立てている音には怪物は反応しない」だとか「怪物が襲ってくるかどうかはランダム」だとかを観客に教えたかったのか…?しかし何にしても意図が不明すぎるし、最序盤から観客が理解できない演出が入ってしまっている時点で大減点である。
そして、家族の行動。映画90分の間にこの主人公家族は何度ヘマをして音を立てただろうか。数えられない。音を立てるだけではない。とにかく随所で無駄な行動をして危険に飛び込んでいく。そう、この一家、とにかくおバカすぎるのだ。もちろん、物語を盛り上げるためには登場人物がヘマをするのは別によい。ただ、この家族。他の人々がなすすべなく死んでいった中、過酷な環境で一年以上生き延びているのである。そんな「歴戦の猛者たち」が、ヘマをしまくるか?そんな事はあってはならないのだ。一年以上生き延びてきたという事の説得力が全くない。歴戦の猛者たちならば、知恵の限りを尽くして、怪物たちと高度な頭脳戦を繰り広げるべきなんじゃあないのか。
さて、前述のように主人公一家は何度もヘマをする。登場人物が多い映画なら良い。ヘマをするたびに登場人物が一人ずつ死んでいけばいいからだ。敵キャラが多い映画なら、それでもいい。見つかって戦闘になったら敵を倒せばいいからだ。しかし、この映画の登場人物はほぼ主人公一家のみで、怪物の数も少ない。その結果、何度ヘマをしても減らすべき要素がなく、結局何事もなく済んでしまうのだ。次第に緊迫感は薄れ、登場人物が音を立ててしまっても「まあ別になんともならないんだろうな」と感じるようになる。それはそうだろう。せめて、音を立てるたびに攻撃を受けて重症を負っていくとか、そういうのではだめだったのだろうか。
とにかく作りがぬるく、言ってしまえば子供向けな映画である。
そしてこの映画。家族というものがテーマの一つになっているが…。音や声に反応して襲ってくる怪物がいる中、まともな思考回路をしている人間ははたして、子づくりに励もうとするだろうか?いやしない。